大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

浦和地方裁判所川越支部 昭和37年(ワ)15号 判決 1965年10月05日

主文

別紙目録記載の土地は原告両名の共有なることを確認する。

被告は原告両名に対し右土地に付き所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人等は主文同旨の判決を求めその請求原因として、

一、別紙目録記載の土地は原告両名が共同して昭和二三年一一月二〇日訴外久下初五郎から買受け代金を支払つてその所有権を取得したものである。

二、そして原告両名は右訴外人より所有権移転登記を為すに際し原告等所有名義と為すときは将来相続開始等の場合更に所有権取得登記等の手数と出費を要することを考え被告である原告等の実子長男清太郎(昭和一一年一月二一日生当時一二才)を形式上の買受名義人とすることとし売主の諒解の下に売買証書に買主として被告の名義を表示し被告が未成年者であつたので原告等は法定代理人たる父母の地位の形式により右訴外人より直接被告が買受けたことを登記原因として同日浦和地方法務局飯能出張所に於いて所有権移転の登記手続を了した。

三、従つて本件土地の実体上の所有者は原告両名であり、登記簿上の形式が被告所有名義となつていることは具体的真実に合致しないし被告は形式上自己所有名義になつているのに乗じ恰も真実の所有者の如く振舞はんとしている。

よつて原告両名は被告に対し本件土地が原告等の所有なることの確認を求め且つその登記上の所有名義を原告等の所有名義に移転登記手続を求める為本訴請求に及んだ旨陳述し、被告の抗弁を否認し、立証として甲第一乃至四号証を提出し、証人久下梅治郎の証言並に原告間川知次、同間川美津江(一、二回)各本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。」との判決を求め答弁として、原告等主張の一、の事実中原告等がその主張の日時訴外久下初五郎に本件土地売買代金を支払つたこと、同二、の事実は認めるがその余は否認する。被告は本件土地に付き形式上も実体上もその所有権を取得したもので原告等は右日時被告の為(本件土地代金を被告に贈与し)被告を代理して右訴外人から本件土地を買受けその代金を支払い且つ所有権移転登記手続を了したものである。と述べ、仮りに原告等が右日時本件土地を右訴外人から買受けその所有権を取得したとしても、被告は即日原告等から本件土地の贈与を受けその所有権を取得したものであつて、右贈与は書面によるものであり即日原告等が被告の為登記手続を了したことによりその履行を完了したものである、と抗争し、尚被告が実体上の所有者であることは

(一)  十数年来被告所有名義に登記が存続している事実、

(二)  昭和三四年一二月頃本件土地の一部宅地一二〇坪の内七〇坪に付き賃貸人被告、右代理人弁護士田畑喜与英、と賃借人大矢新太郎、同比留間寅三、右両名代理人弁護士山田泰三との間に賃貸借契約書が作成されたがその際右訴外田畑喜与英は右宅地一二〇坪が実体上被告に属していること及び被告が昭和二四年頃以降右訴外大矢、同比留間に賃貸していることを言明し、これに対し原告等、被告並に爾余の右訴外人等は何れも異論がなかつたこと、

(三)  昭和三六年正月頃原告美津江は訴外間川志さ子(その後被告の妻となつた)に対しこの土地(本件土地)は清太郎のものだから安心して嫁に来られ度い旨述べたこと、

(四)  同年二月中旬、本件土地上の原告等宅に於いて被告と右志さ子との婚約に基く所謂結納返しの席上原告知次が此処の土地は清太郎の名前になつているから志さ子が嫁に来ても安心である、江戸川の母親(志さ子の実母高木うら)は安心して嫁に寄こして貰い度い旨申述し原告美津江、被告、訴外志さ子、同うら、同宮木徳次郎(媒酌人)が同席していたこと、

(五)  同年三月一五日飯能市内料亭雨だれ荘に於いて被告と右志さ子の結婚式同披露宴の席上原告知次は訴外蓮見正吉(志さ子の義兄)に対し現在の家の土地(本件土地)は清太郎のものだから兄さん達も安心されたい旨述懐し訴外うらもこれを聞知したこと、

(六)  同年一〇月五日頃右雨だれ荘に於いて原告知次、被告、訴外志さ子、同宮木徳次郎会談の席上被告は原告知次に対し本件土地は自分の土地だから売却賃貸等自分の自由にさせて貰う旨申し述べ原告知次はそれを認め、清太郎が土地を売却するなら同地上の家は自分のもの故一緒に売却して貰い度き旨訴外宮木に依頼したこと

等から推認し得るところであると付陳した。

立証(省略)

理由

原告等主張の一、の事実中その主張の日時原告等が訴外久下初五郎に対し本件土地売買代金を支払つたこと、及び同二、の事実は当事者間に争いがない。証人久下梅治郎の証言と原告美津江本人尋問(一、二回)の結果を綜合すれば、原告美津江は二才の頃より亡訴外間川三平同美津夫婦の事実上の養女となつて養育され長ずるに及んで原告知次を迎えて夫婦となりその間被告を含めた子女四人を儲けたが亡養父母三平夫婦は生前借地して家屋を建築居住していた本件土地の買入方を従兄弟である所有者訴外久下初五郎に交渉中右三平は死亡し原告夫婦は右養母美津の希望もあり共に尚も接渉を続けた結果その効あつて昭和二三年一一月二〇日原告両名と右訴外人との間に本件土地の売買契約が成立し、右養母美津と原告知次の出損による本件土地代金を支払つてこれを買受けるに至つたこと、右所有権移転の登記に際し原告夫婦はその所有名義とするときは将来相続開始の場合更に移転登記等の手数及び出費を要することを厭う単純な考えと本件土地はいずれ子女に与える心算であつたが当時子女の中被告は一二才となつていたがその余は何れも未だ幼少で更に子女出生の可能性もあつて子女の数も確定せず且又本件土地を子女所有名義とするも法定代理人として自由に処分し得る立場にあつたこと等の事情から長男で爾余の子女より年長の被告名義を藉りて登記することとし右訴外久下初五郎の諒解の下に売渡証に買主として被告名義を表示し右訴外人より直接被告が買受けた形式を以つてこれを登記原因として被告所有名義に移転登記を了した事実を肯認するに足り右認定に反する原告知次本人尋問の結果は措信し難いところである。そして右日時原告等が本件土地所有権を取得した後即日これを被告に贈与しその履行として被告名義に所有権移転登記を了したとの被告の抗弁に添うが如き原告知次尋問の結果は前記証人久下梅治郎の証言及び原告美津江本人尋問(一、二回)の結果と対比して到底措信し難く他にこれを認めるに足る証拠はない。

(尤も被告主張の(一)の十数年来被告所有名義に登記が存続していることは当事者間に争いがないけれども登記の性質上且又前記認定事情の下に於いては右登記の存続事実が被告所有なることを推定又は推認し得べきものではなく、

同(二)の事実は成立に争いのない乙第二、四号証及び原告知次被告各本人尋問の結果を綜合してこれを窺知し得るが如きであるけれども右各証拠と原告美津江本人尋問(一、二回)の結果を対比すれば当時賃借人等との間の紛争の解決を急ぐの余り登記簿上の被告所有名義を藉りて賃貸借契約証(乙第二号証)を作成したに止まり原告等に於いて被告所有なることを承認していたものとは到底推認し難く、

同(三)、(四)、(五)の事実は原告知次、被告各本人尋問の結果(同(四)に付いては証人宮木徳次郎の証言をも)を綜合すればこれを肯認し得べきが如きであるけれども(同(三)、(四)に付いての原告美津江本人尋問(一、二回)の結果は措信しない)右は両親たる原告夫婦が子たる被告に嫁を迎へるに際し嫁及び嫁方親族に対し被告を飾巧する言辞を弄したに過ぎず本件土地が被告所有であることを承認したものとは推認し得ざるところであり、

同(六)の事実に付いては証人宮木徳次郎の証言及び被告本人尋問の結果を綜合すれば被告夫婦と原告美津江との折合悪しく被告夫婦が原告家より他に別居するに際し被告夫婦及びその媒酌人訴外宮木徳次郎並に原告知次と会談した席上原告知次が被告主張の如き言辞を弄したことは首肯し得られるところであるけれども右は斯る事情の下に別居するに至つた長男夫婦に対する慰撫の言辞と推認するに難くなく、殊に当時原告美津江が原告知次名義を以つて旅館を経営し原告知次と共に他の子女を養育し共々居住している原告知次所有家屋(右事実は当事者間に争いがない)までも原告知次に於いて被告が本件土地所有者たることを承認しその売却の際は共に売却され度き旨右媒酌人に依頼すると言うが如きは到底その真意に出でた言辞とは認められない。由しや被告主張の(一)乃至(六)の事実の如きはこれを推認し得たとしても前記認定を覆へすに足るものではない。)

よつて本件土地は原告両名の所有であること明らかであるからその確認を求め所有権移転登記手続を求める原告等の本訴請求を認容し、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八九条を適用して主文の如く判決する。

別紙

目録

飯能市大字久下字稲荷上三一六番の二

一、宅地        一二〇坪

同所三一六番の三

一、宅地        二二八坪

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例